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☆「ダカラ論」は、論理にあらず
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「親だから……」「子だから……」「長男だから……」「夫だから……」というのを、『ダカラ論』という。このダカラ論は、論理ではない。えてして、問答無用式に相手をしばる道具として、利用される。使い方をまちがえると、相手を苦しめる道具にもなりかねない。先日もテレビを見ていたら、妻が、夫に、「あなたは一家の大黒柱なんだからね」と言っているのを見かけた。それを見ていて、そういうふうに言われる夫は、つらいだろうなと、私は、ふと、そう思った。 |
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☆親の恩着せ、子どもの足かせ
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「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」と親が、子どもに恩を着せれば着せるほど、子どもの心は親から遠ざかる。そればかりか、子どもが伸びる芽を摘んでしまうこともある。たとえ親がそう思ったとしても、それを口にしたら、おしまい。親に恩を押しつけられ、苦しんでいる子どもは、いくらでもいる。 |
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☆家族主義は、親の手本から
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まず子どもを幸福な家庭で包んでやる。「幸福な家庭というのは、こういうものですよ」と。それが家族主義の原点。見せるだけでは足りない。子どもの体の中にしみこませておく。その(しみこみ)があってはじめて、子どもは、今度は、自分が親になったとき、自然な形で、幸福な家庭を築くことができる。夫婦が助けあい、いたわりあい、励ましあう姿は、遠慮なく、子どもに見せておく。 |
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☆離婚は淡々と、さわやかに
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親が離婚するとき、離婚そのものは、大きな問題ではない。離婚にいたる家庭内騒動が、子どもの心に暗い影を落とす。ばあいによっては、それがトラウマになることもある。だから離婚するにしても、子どもの前では淡々と。子どものいない世界で、問題を解決する。子どもを巻きこんでの離婚劇、それにいたる激しい夫婦げんかは、タブー中のタブー。夫婦げんかは、子どもへの「間接虐待」と心得ること。 |
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☆よい聞き役が、子どもの思考力を育てる
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親は、子どもの前では、よき聞き役であること。ある人は、『沈黙の価値を知るものだけが、しゃべれ』というが、この格言をもじると、『沈黙の価値を知る親だけが、しゃべれ』となる。子どもの意見だから、不完全で未熟であるのは、当たり前。決して頭ごなしに、「お前の考え方はおかしい」とか、「まちがっている」とかは、言ってはいけない。「それはおもしろい考え方だ」と言って、いつも前向きに、子どもの意見を引き出す。そういう姿勢が、子どもの思考力を育てる。 |
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☆子どもの前では、いつも天下国家を論じる
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子どもに話すテーマは、いつも大きいほうがよい。できれば、天下国家を論ずる。宇宙の話でも、歴史の話でもよい。親が小さくなればなるほど、子どもは小さくなる。隣や近所の人たちの悪口や批判は、タブー。見栄、体裁、世間体は、気にしない。こうした生き様は、子どものものの考え方を卑屈にする。「日本はねえ……」「世界はねえ……」という語りかけが、子どもを大きくする。 |
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☆仮面をはずし、子どもには本音で生きる
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あなたが悪人なら、悪人でもかまわない。大切なことは、子どもの前では、仮面をはずし、本音で生きること。あるがままのあなたを、正直にさらけ出しながら生きる。かっこつけたり、飾ったりする必要はない。そういうあなたの中に、子どもは、いつか(一人の人間)を見る。ただし一言。子育てといっても、あなたはいつも一人の人間として、自分を伸ばしていかねばならない。それが結局は、真の子育て法ということになる。 |
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☆優越感の押しつけは、子どもをつぶす
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おとなや親の優越性を、子どもに押しつけてはいけない。賢い親は、(教師もそうだが……)、バカなフリをしながら、子どもに自信をもたせ、そして子どもを伸ばす。相手は子ども。本気で相手にしてはいけない。ゲームをしても、運動をしても、ときにはわざと子どもに負けてみる。子どもが、「うちの父(母)は、アテにならない」と思うようなったら、しめたもの。勉強について言うなら、「こんな先生に習うくらいなら、自分でしたほうがマシ」と思うようになったら、しめたもの。 |
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☆親の動揺、子どもを不安にする
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たとえば子どもが不登校的な拒否症状を示すと、たいていの親は、狂乱状態になる。そして親が感ずる不安や心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。が、この一撃が、さらに子どもの心に、大きなキズをつける。数か月ですんだはずの不登校が、1年、2年とのびてしまう。子どもの心の問題を感じたら、一喜一憂は、厳禁。半年単位でものを考える。「半年前はどうだったか?」「1年前はどうだったか?」と。 |
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☆言うべきことは言っても、あとは時を待つ
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親は言うべきことは言っても、そこで一歩引き下がる。すぐわからせようとか、実行させようと考えてはいけない。子どもの耳は、そういう意味で長い。脳に届いてから、それを理解するまでに、時間がかかる。実行するまでには、さらに時間がかかる。まずいのは、その場で、とことん子どもを追いつめてしまうような行為。子どもはかえってそれに反発し、その反対のことをするようになる。 |
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☆質素が子どもの心を豊かにする
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子どもには、質素な生活は、どんどん見せる。しかしぜいたくは、するとしても、子どものいないところで、また子どもの見えないところでする。子どもというのは、一度、ぜいたくを覚えると、あともどりできない。だから、子どもにはぜいたくを、経験させない。
なお質素とケチは、よく誤解される。質素であることイコール、貧乏ということでもない。質素というのは、つつましく生活をすることをいう。身のまわりにあるものを大切に使いながら、ムダをできるだけはぶく。要するに、こまやかな心が通いあう生活を、質素な生活という。 |
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☆うしろ姿を押し売りは、子どもを卑屈にする
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生活のためや、子育てのために苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。日本では、うしろ姿を子どもに見せることを美徳のように考えている人がいるが、これは美徳でも何でもない。子どもというのは、親が見せるつもりはなくても、親のうしろ姿を見てしまうかもしれないが、しかしそれでも、親は親として、子どもの前では、毅然(きぜん)として生きる。そういう前向きの姿が、子どもに安心感を与え、子どもを伸ばす。 |
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☆生きる力は、死を厳粛に扱うことから
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死があるから、生の大切さがわかる。死の恐怖があるから、生きる喜びがわかる。人の死の悲しみがあるから、人が生きていることを喜ぶ。どんな宗教でも、死を教えの柱におく。その反射的効果として、「生」を大切にするためである。子どもの教育においても、またそうで、子どもに生きることの大切さを教えたかったら、それがたとえペットの死であっても、死は厳粛にあつかう。 |
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☆度量の大きさは、立方体で計算する
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子育ての度量の大きさは、(たて)X(横)X(高さ)で決まる。(たて)というのは、その人の住む世界の大きさ。(横)というのは、人間的なハバ。(高さ)というのは、どこまで子どもを許し、忘れるかという、その深さのこと。もちろんだからといって、子どもに好き勝手なことをさせろということではない。要するに、あるがままの子どもを、どこまで受け入れることができるかということ。 |
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