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○子育ての前に生きザマを
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子育てをしながらも、親は、親で、自分の生きザマを確立します。「あなたはあなたで、勝手に生きなさい。私は私で、勝手に生きます」と。そういう一歩退いた目が、ともすればギクシャクとしがちな、親子関係に、風を通します。子どもだけを見て、子どもだけが視野にしか入らないというのは、それだけあなたの生きザマが、小さいということです。あなたはあなたで、したいことを、すればいいのです。 |
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○問題のない子育てはない
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子育てをしていると、子育てや子どもにまつわる問題は、つぎからつぎへと、起きてくる。それは岸辺に打ち寄せる波のようなもの。問題のない子どもはいないし、したがって、問題のない子育ては、ない。できのよい子ども(?)をもった親でも、その親なりに、いろいろな問題に、そのつど、直面する。できが悪ければ(?)、もっと直面する。子育てというのは、もともとそういうものであるという前提で、子育てを考える。 |
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○解決プロセスを用意する
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英文を読んでいて、意味のわからない単語にぶつかったら、辞書をひく。同じように、子育てで何かの問題にぶつかったら、どのように解決するか、そのプロセスを、まず、つくっておく。兄弟や親類に相談するのもよい。親に相談するのも、よい。何かのサークルに属するのもよい。自分の身にまわりに、そういう相談相手を用意する。が、一番よいのは、自分の子どもより、2、3歳年上の子どもをもつ、親と緊密になること。「うちもこうでしたよ」というアドバイスをもらって、たいていの問題は、その場で解決する。 |
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○動揺しない
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株取引のガイドブックを読んでいたら、こんなことが書いてあった。「プロとアマのちがいは、プロは、株価の上下に動揺しないが、アマは、動揺する。だからそのたびに、アマは、大損をする」と。子育ても、それに似ている。子育てで失敗しやすい親というのは、それだけ動揺しやすい。子どもを、月単位、半年単位で見ることができない。そのつど、動揺し、あわてふためく。この親の動揺が、子どもの問題を、こじらせる。 |
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○自分なら……?
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賢い親は、いつも子育てをしながら、「自分ならどうか?」と、自問する。そうでない親は親意識だけが強く、「〜〜あるべき」「〜〜であるべきでない」という視点で、子どもをみる。そして自分の理想や価値観を、子どもに押しつけよとする。そこで子どもに何か問題が起きたら、「私ならどうするか?」「私はどうだったか?」という視点で考える。たとえば子どもに向かって「ウソをついてはダメ」と言ったら、「私ならどうか?」と。 |
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○時間をおく
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言葉というのは、耳に入ってから、脳に届くまで、かなりの時間がかかる。相手が子どもなら、なおさらである。だから言うべきことは言いながらも、効果はすぐには、求めない。また言ったからといって、それですぐ、問題が解決するわけでもない。コツは、言うべきことは、淡々と言いながらも、あとは、時間を待つ。短気な親ほど、ガンガンと子どもを叱ったりするが、子どもはこわいから、おとなしくしているだけ。反省などしていない。 |
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○叱られじょうずにしない
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親や先生に叱られると、頭をうなだれて、いかにも叱られていますといった、様子を見せる子どもがいる。一見、すなおに反省しているかのように見えるが、反省などしていない。こわいからそうしているだけ。もっと言えば、「嵐が通りすぎるのを待っているだけ」。中には、親に叱られながら、心の中で歌を歌っていた子どももいた。だから同じ失敗をまた繰りかえす。 |
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○人格攻撃はタブー
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先生に叱られたりすると、パッとその場で、土下座をしてみせる子どもがいる。いわゆる(叱られじょうずな子ども)とみる。しかしだからといって、反省など、していない。そういう形で、自分に降りかかってくる、火の粉を最小限にしようとする。子どもを叱ることもあるだろうが、しかしどんなばあいも、最後のところでは、子どもの人権だけは守る。「あなたはダメな子」式の、人格の「核」攻撃は、してはいけない。 |
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○「核」攻撃は、タブー
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子どもを叱っても、子どもの心の「核」にふれるようなことは、言ってはいけない。「やっぱり、あなたはダメな子ね」「あんたなんか、生まれてこなければよかったのよ」などというのが、それ。叱るときは、行為のどこがどのように悪かったかだけを、言う。具体的に、こまかく言う。が、子どもの人格にかかわるようなことは言わない。 |
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○子どもは、親のまねをする
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たいへん口がうまく、うそばかり言っている子どもがいた。しかしやがてその理由がわかった。母親自身もそうだった。教師の世界には、「口のうまい親ほど、要注意」という、大鉄則がある。そういう親ほど、一度、敵(?)にまわると、今度は、その数百倍も、教師の悪口を言い出す。子どもに誠実になってほしかったら、親自身が、誠実な様子を、日常生活の中で見せておく。 |
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○一事が万事論
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あなたは交通信号を、しっかりと守っているだろうか。もしそうなら、それでよし。しかし赤信号でも、平気で、アクセルを踏むようなら、注意したほうがよい。あなたの子どもも、あなたに劣らず、小ズルイ人間になるだけ。つまり親が、小ズルイことをしておきながら、子どもに向かって、「約束を守りなさい」は、ない。ウソはつかない。約束は守る。ルールには従う。そういう親の姿勢を見ながら、子どもは、(まじめさ)を身につける。 |
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○代償的過保護は、愛情にあらず
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「子どもはかわいい」「私は子どもを愛している」と、豪語する親ほど、本当のところ、愛が何であるか、わかっていない。子どもを愛するということは、それほどまでに、重く、深いもの。中には、子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいと考えている親もいる。これを代償的過保護という。一見、過保護に見えるが、その基盤に愛情がない。つまりは、愛もどきの愛を、愛と錯覚しているだけ。 |
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○子どもどうしのトラブルは、子どもに任す
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子どもの世界で、子どもどうしのトラブルが起きたら、子どもに任す。親の介入は、最小限に。そういうトラブルをとおして、子どもは、子どもなりの問題解決の技法を身につけていく。親としてはつらいところだが、1にがまん、2にがまん。親が口を出すのは、そのあとでよい。もちろん子どものほうから、何かの助けを求めてきたら、そのときは、相談にのってやる。ほどよい親であることが、よい親の条件。 |
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○許して忘れ、あとはあきらめる
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子どもの問題は、許して、忘れる。そしてあとはあきらめる。「うちの子にかぎって……」「そんなはずはない」「まだ何とかなる」と、親が考えている間は、親に安穏たる日々はやってこない。そこで「あきらめる」。あきらめると、その先にトンネルの出口を見ることができる。子どもの心にも風が通るようになる。しかしヘタにがんばればがんばるほど、親は、袋小路に入る。子どもも苦しむ。 |
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