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●子どもの世界は、社会の縮図
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子どもの世界だけを見て、子どもの世界だけを何とかしようと考えても、意味はない。子どもの世界は、まさに社会の縮図。社会に4割の善があり、4割の悪があるなら、子どもの世界にも、4割の善があり、4割の悪がある。つまり私たちは子育てをしながらも、同時に、社会にも目を向けなければならない。子どもがはじめて覚えたカタカナが、「ホテル」であったり、「セックス」であったりする。そういう社会をまず、改める。子どもの教育は、そこから始まる。 |
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●よき家庭人
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日本では、「立派な社会人」「社会に役立つ人」が、教育の柱になっていた。しかし欧米では、伝統的に、「よき家庭人(Good family man )」を育てるのが、教育の柱になっている。そのため学習内容も、実用的なものが多い。たとえば中学校で、小切手の切り方(アメリカ)などを教える。ところで隣の中国では、「立派な国民」という言葉がもてはやされている。どこか戦後直後の日本を思い出させる言葉である。 |
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●読書が教育の要
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アメリカには、「ライブラリー」という時間がある。週1回は、たいていどこの学校にもある。つまり、読書指導の時間である。ふつうの教科は、学士資格で教壇に立つことができるが、ライブラリーの教師だけは、修士号以上の資格が必要である。ライブラリーの教師は、毎週、その子どもにあった本を選び、指導する。日本でも、最近、読書の重要性が見なおされてきている。読書は、教育の要である。 |
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●教師言葉に注意
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教師というのは、子どもをほめるときは、本音でほめる。だから学校の先生に、ほめられたら、額面どおり受け取ってよい。しかしその反対に、何か問題のある子どもには、教師言葉を使う。たとえば学習面で問題のある子どもに対しては、「運動面では問題ないですが……」「私の指導力が足りないようです」「この子には、可能性があるのですが、今は、まだその力を出し切っていませんね」というような言い方をする。 |
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●先取り教育は、幼児教育にあらず
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幼児教育というと、小学校でする勉強を先取りしてする教育だとか、あるいは小学校の入学準備のための教育と考えている人は多い。そのため漢字を教えたり、掛け算の九九を教えたりするのが、幼児教育と思っている人も多い。しかしこれは、まったくの誤解。幼児期には幼児期で、しておくべきことが、山のようにある。子どもの方向性も、このころ決まる。その方向性を決めるのが、幼児教育である。 |
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●でき愛は愛にあらず
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でき愛を、「愛」と誤解している人は多い。しかしでき愛は、愛ではない。親の心のスキマをうめるための、親の身勝手な愛。それをでき愛という。いわばストーカーがよく見せる「愛?」とよく似ている。たとえば子どもの受験勉強に狂奔している親も、それにあたる。「子どものことを心配している」とは言うが、本当は、自分の不安や心配を解消するための道具として、子どもを利用しているだけ。そしてベタベタの親子関係をつづけながら、かえって子どもの自立をzちゃましてしまう。 |
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●悪玉家族意識
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家族のもつの重要性は、いまさら説明するまでもない。しかしその家族が、反対に、独特の束縛性(家族自我群)をもつことがある。そしてその家族に束縛されて、かえってその家族が、自立できなくなってしまうことがある。あるいは反対に、「親を捨てた」という自責の念から、自己否定してしまう人も少なくない。家族は大切なものだが、しかし安易な論理で、子どもをしばってはいけない。 |
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●伸びたバネは縮む
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受験期にさしかかると、猛烈な受験勉強を強いる親がいる。塾に、家庭教師に、日曜特訓など。毎週、近くの公園で、運動の特訓をしていた父親さえいた。しかしこうした(無理)は、一事的な効果はあっても、そのあと、その反動で、かえって子どもの成績はさがる。「伸びたバネはちぢむ」と覚えておくとよい。イギリスの教育格言にも、『馬を水場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない』というのがある。その格言の意味を、もう一度、考えてみてほしい。 |
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●利他度でわかる人格の完成度
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あなたの子どもの前で、重い荷物をもって、苦しそうに歩いてみてほしい。そのとき、「ママ、もってあげる!」と走りよってくればよし。反対に、知らぬ顔をして、テレビゲームなどに夢中になってれば、あなたの子どもは、かなりのどら息子と考えてよい。子どもの人格(おとなも!)、いかに利他的であるかによって、知ることができる。つまりドラ息子は、それだけ人格の完成度の低い子どもとみる。勉強のできるできないは、関係ない。 |
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●見栄、体裁、世間体
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私らしく生きるその生き方の反対にあるのが、世間体意識。この世間体に毒されると、子どもの姿はもちろんのこと、自分の姿さえも、見失ってしまう。そしてその幸福感も、「となりの人より、いい生活をしているから、私は幸福」「となりの人より悪い生活をしているから、私は不幸」と、総体的なものになりやすい。もちろん子育ても、大きな影響を受ける。子どもの学歴について、ブランド志向の強い親は、ここで一度、反省してみてほしい。あなたは自分の人生を、自分のものとして、生きているか、と。 |
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●私を知る
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子育ては、本能ではなく、学習である。つまり今、あなたがしている子育ては、あなたが親から学習したものである。だから、ほとんどの親は、こう言う。「頭の中ではわかっているんどえすが、ついその場になると、カッとして……」と。そこで大切なことは、あなた自身の中の「私」を知ること。一見簡単そうだが、これがむずかしい。スパルタのキロンもこう言っている。「汝自身を、知れ」と。哲学の究極の目標にも、なっている。 |
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●知識はメッキ
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知識と思考力は、はっきりと区別する。もの知りな子どもイコール、賢い子どもということではない。もちろん人格的に高邁(こうまい)ということにもならない。脳みその中でも、使う部分そのものがちがう。大切なのは、思考力。自分で考える力である。それをみて、その子どもの能力を判断する。 |
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●作文の前に速書きを
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計算力は、算数の力の基礎である。計算力があるからといって、算数の力があるということにはならない。しかし計算力がないと、算数の力を下へ引っ張ってしまう。同じように、速書きは、作文力(表現力)の基礎である。速く書くことができるからといって、作文力があるということにはならない。しかし速く書くことができないと、作文力を発揮できない。小1〜2レベルで、15分間に、100〜150文字を筆写できるようにするのを目標とする。 |
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●国語力が学力の基礎
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理科は、理科的な国語、社会は、社会的な国語と考える。国語力(読解力、理解力、表現力)のあるなしは、すべての科目に大きな影響を与える。「本を読む」、つまり読書の重要性は、今さら説明するまでもない。方法としては、大きな図書館で、子どもを自由に遊ばせてみるとよい。それを定期的な習慣にする。 |
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