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子どもを知るための心理学

【子どもを知る心理学】 by はやし浩司


●心の別室

 子どもというのは、(おとなもそうだが)、何かいやなことがあると、それを心の中に別室を作
り、そこに押し込むことによって、その場をやり過ごそうとする。こうした現象を心理学の世界で
は、「抑圧」という言葉を使って説明する。が、この抑圧された不満や不平、うっぷんは、時と場
合に応じて、爆発する。「オレがこうなったのは、お前のせいだ!」と。心の別室には、時間とい
う概念が働かない。また楽しい思い出によって、上書きされるということもない。だから20年、
30年を経ても、そのときの自分がよみがえる。それこそ70歳を過ぎた老人夫婦が、若い日の
ことを理由に、喧嘩することも珍しくない。要するに、子どもには心の別室を作らせないこと。そ
のつど適当なガス抜きをする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「偉い」を廃語に

 何をもって、「偉い」というのか。「偉い人」とは、どういう人を言うのか。地位か、名誉か、財力
か。英語では「respected man」という。「尊敬される人」という意味である。が、そのときは、地
位や名誉、財力は関係ない。マザーテレサをひきあいに出すまでもない。が、この日本ではい
まだに、「偉い」という言葉が、のさばっている。とくに政治の世界では、のさばっている。今では
少なくなったが、大臣という肩書きをもった瞬間から、胸を張り、ふんぞり返って歩く政治家は
少なくない。傍から見るとバカげている。悪しき封建主義時代の亡霊そのもの。が、当の本人
はそうは思っていない。「偉い」という言葉を廃語にしよう。そして子どもたちには、こう言おう。
「人に尊敬される人になりなさい」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●摂取理論

 初対面での印象が、いかに大切なものであるか。それについて、今さら、書くまでもな
い。

 幼児のばあいは、とくにそうで、そのときその幼児がもった第一印象で、そのあとのそ
の子どもの、伸び方が、まったくちがうということは、よくある。

 よい例として、集団恐怖症、対人恐怖症、さらには、かん黙症などがある。

 こうした症状は、はじめて保育園なり、幼稚園へつれていったその日をきっかけとして、
発症することが多い。そして一度、発症すると、無理をすればするほど、逆効果。かえっ
て症状をこじらせてしまう。

 幼児の心は、そういう意味では、きわめてデリケートにできている。親や教師は、「集団
生活になれていないだけ」とか、「しばらく集団生活をすれば、なおるはず」と、安易に考
えるが、そんな簡単な問題ではない。

 集団のもつ威圧力というか、恐怖感というのは、相当なもの。私もよく経験している。
今でも、ときどき仕事などで東京へ行く機会があるが、あの東京駅の雑踏には、いまだに
なれることができない。自分の歩くスピードで歩くことすら、許されない。おまけにあの
ラッシュアワー!

 私は昔、M物産という会社に勤めていたが、その会社をやめる直接のきっかけになった
のが、あのラッシュアワーである。

 私は、毎朝、H電鉄の満員電車で、伊丹から、塚本へ出て、大阪の中ノ島にある会社に
通勤した。たまたまオーストラリアから帰ってきたばかりで、どうにもこうにも、あのラ
ッシュアワーには、がまんならなかった。それはもう、男どうしが、顔をすりあわせるよ
うな混雑ぶりだった。
 
 もちろん、子どもにもよるが、つまり集団の中にすぐ溶けこめる子どももいるし、そう
でない子どももいるが、あくまでもその子どもの視点で、ものを考えること。

 たとえば入園する前には、あらかじめ、その場所を見学させたり、子どもに見せておい
たりするとよい。そのとき、あらかじめ、集団に対する、心構えを話しておく。いわば病
気の予防接種のように、子どもの心の中に、免疫力をつけておく。こうしておくと、子ど
もは、いきなり集団を見せつけられたときよりは、そのショックをやわらげることができ
る。

こうした一連の心理作用は、「接種理論」という理論で、説明される。

 また子どもが悪い印象をもったときも、大人の一方的な意見を押しつけてはいけない。
「そうだよね」「あなたの気持ちよくわかる」「お母さんも、そう思う」と、子どもの立場
で、子どもの心になりきって、考える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●パブリック・コミットメント

 まず外の世界に向かって、宣言する。宣言することによって、自分を縛る。これを「パブリッ
ク・コミットメント」という。たとえば禁酒、禁煙。「酒をやめました」「タバコをためました」と、みな
に言う。できるだけ大声で、多くの人に言う。そうすることによって、自分の行動を厳格化する。
多くの人に伝わっているから、簡単に約束を破るわけにはいかない。子どもの世界について言
うなら、子どもにそれを言わせる。言わせることによって、子どもが自らを縛るように仕向ける。
ただし無理強いはいけない。当然のことである。あるいは子どもの名前が載った新聞や本など
を、大切に切り抜いて張る。そしてこう宣言する。「あなたはすばらしい子」と。これもパブリッ
ク・コミットメントのひとつということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●プラトー

 子どもに英語を教えてみると、ある程度までは、ぐんぐんと伸びる。が、やがてそれが停滞す
る時期にやってくる。この「停滞期」を「プラトー」と呼ぶ。子どもの発達段階においては、よく見
られる現象である。たとえば単語にしても、教えても教えても、先に教えたことを忘れてしまう。
進歩が止まってしまう、など。こういうとき親も教師もあせりがちになるが、けっしてあせっては
いけない。こういう時期がしばらくつづいたあと、(英語のばあい、1〜3年)、時間数をふやした
りすると、殻を破ったようにまた伸び始める。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●気負い

 不幸にして不幸な家庭に育った親ほど、「いい親になろう」「いい家庭を作ろう」という気負い
が強くなる。この気負いが子育てをゆがめる。どこかぎこちなくなる。極端にきびしい親、極端
に甘い親などは、たいていこのタイプの親と考えてよい。一方、心豊かで愛情にあふれた家庭
で育った親は、自然な形で子育てができる。自然な形での「親像」が身についているからであ
る。だから子育てをするときは、子育てをしながら、その子どもの中で、「親像」がどのように育
っているかを観察しながらするとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ピーターパン・シンドローム

 おとなになりきれないおとな。そうした人がもつ症状を総称して、ピーターパン・シンドローム
(症候群)と呼ぶ。退行的なものの考え方(幼児性の持続)、人格の未完成など。強圧的な環
境、たとえば親の過関心、過干渉が日常的につづくと、子どもは自ら考えて行動することがで
きず、ここでいうピーターパン・シンドロームに陥りやすい。行動や言動が、その年齢に比して、
子どもぽくなる一方、善悪の判断がうとくなり、とんでもないこと、たとえばコンセントに粘土をつ
めたりするなどの常識外れなことをする。近所のおとなの人に、通りすがり、「大きな鼻の
穴!」と叫んだ子ども(小2男児)もいた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの「顔」

 子どもは何らかの形で、自分の「顔」をもちたがる。思春期においては、なおさら。たてば勉
強のできない子どもは、スポーツで。スポーツのできない子どもは、たとえばツッパリで、と。だ
から暴力的な子どもに、「あなたがそんなことをすれば、みんなに嫌われるのよ」と諭しても、意
味はない。それがその子どもの「顔」ということになる。ありはひょうきんなことを言ったりしたり
して、ほかの子どもたちを笑わせる子どももいる。わざと失敗したり、ヘマをしたりする子どもも
いる。それぞれの子どもには、それぞれの顔がある。その「顔」をつぶしてはいけない。子ども
は糸の切れた凧のようになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●共依存

 酒に酔って暴れる夫。殴られても蹴られても、そういう夫に尽くす妻。典型的な共依存関係で
ある。妻に依存することで、自分の立場を確保する夫。依存されることで、自分の立場を確保
する妻。妻を殴ったり蹴ったりすることで、妻の従順性を確かめる夫。殴られたり蹴られたりす
ることに耐えながら、夫への従順性を証明しようとする妻。たがいに依存しあいながら、自分を
支える。傍から見ると何とも痛ましい夫婦関係だが、親子の間でもときとして、同じことが起き
ることもある。家庭内暴力を繰り返す息子と親の関係。ニートとなり家の中に引きこもる子ども
と親の関係。子どもを突き放すことができない。親自身も、無意識のうちに子どもに依存してい
るからである。

(補記)

●共依存

依存症にも、いろいろある。よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依存症な
ど。

もちろん、人間が人間に依存することもある。さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。

しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。それを「共依存」という。典型的な例とし
ては、つぎのようなものがある。

夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。仕事はしない。何かいやなことがあると、妻に怒鳴り
散らす。しかし決定的なところまでは、しない。妻の寛容度の限界をよく知っていて、その寸前
でやめる。(それ以上すれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。)

それに、いつも、暴力を振るっているのではない。日ごろは、やさしい夫といった感じ。サービス
精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。お前のようないい女房をもちながら、苦労ばかりかけ
ている」と、謝ったりする。

一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。私は、この人には必要なのだ。だ
からこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と、夫の世話をする。

こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうをみることで、
依存する。

ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。そして夜、遅く帰ってくる。子どもはいない。
その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。そして仕事から帰ってくるとき
は、必ず、夕食の材料を買って帰るという。

それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバイスした。
しかしその妻には、聞く耳がなかった。そうすることが、妻の努めと思いこんでいるようなところ
があった。

つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。本来なら、夫に、依存性をも
たせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫にさせるといったことが必要だ
った。当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。

が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。夫は、自分から離れていってし
まうかもしれない。そんな不安感があった。だから無意識のうちにも、妻は、夫に、依存心をも
たせ、自分の立場を守っていた。

ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に大きな
キズを負うことが知られている。「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったということで、アダ
ルト・チェルドレンになる可能性が高くなるという」(松原達哉「臨床心理学」ナツメ社)。

「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えます。こ
のような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられるのではないか
という不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特徴があります。

子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかりのよさを
見につけてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『アダルト・チェル
ドレン』と呼んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。

ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレン依存症と
も考えられなくはない。もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレンになるわけではない。
ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄などによっても、ここでいうような
症状は現れる。

で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか……と
いう疑問をもつ人がいるかもしれない。

理由は、簡単。このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠牲心、
貢献心、服従性を、そのつど、確認しているのである。

一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしている。世間
的にも、献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。だからますます、夫に依存するように
なる。

こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。これが「共依存」であるが、
しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。

親子、兄弟の間でも、生まれやすい。他人との関係においても、生まれやすい。

生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、息子)。親
子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。わざと、弱々しい
母親を演じてみせるなど。

娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、先週買っ
てきた、イモを食べているから……」と。

その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依存して
いたことになる。こういう例は多い。

息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せってみせたり
するなど。前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとスタスタと歩いてい
る自分の母親を見て、自分の目を疑ってしまったという。

その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかまりなが
ら、今にも倒れそうな様子で歩いていたからである。その同じ母親が、その翌日には、友人た
ちとスタスタと歩いていた!

その女性は、つぎのようなメールをくれた。

「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」と。

いわゆる自立できない親は、そこまでする。「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題ではな
い。言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンといる。決して珍し
くない。

で、その先は……。

今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、子ども
自身も、依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例である。

そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを想像する
が、実際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。むしろ、女児、女性のマザコンのほうが、
男性のそれより、強烈であることが知られている。

女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。母と成人した息子がいっしょに風呂
に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風呂に入っても、それほど、話題には
ならない。

こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。

このつづきは、また別の機会に考えてみたい。
(はやし浩司 共依存 アダルトチェルドレン アダルト チェルドレン 依存性 マザコン 女性
のマザコン 自立 自立できない子供 相互依存 はやし浩司 DV 夫の暴力 ドメスティック
バイオレンス 家庭内暴力 夫の暴力行為)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心の反射運動

 1970年のころの話。オーストラリアでは、レストランでもどこでも、あとにつづく人がいると、
その人はその人のためにドアを開けて待つ。それが当時の常識だったし、どこでもみなが、し
た。こういうのを「心の反射運動」という。つまりさりげない行為が、相手の心をとらえたり、心を
和ませたりする。またそれができる人(親)ほど、よい人(親)ということになる。自己中心的な人
ほど、心の反射運動が鈍いということになる。反対にいつも相手の立場でものを考えたり、行
動する人ほど、心の反射運動がすぐれた人ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●権威主義

 親の権威主義は、百害あって一利なし。が、遠く、江戸時代の昔には、「家制度」もあり、その
ため家父長の権威が何よりも、重んじられた。親は問答無用式に子どもに向かって、親に従う
よう求められた。が、時代が変わった。それに応じて、親子の平等意識、さらには対等意識が
芽生えた。「親だから……」とか、「子だから……」という『ダカラ論』が通用しなくなった。また最
近の若い人たちに向かって、ダカラ論を振りかざしても、意味はない。反発を受けるか、さもな
ければ、親子の間に大きな亀裂を入れることになる。権威主義の親ほど、子育てで失敗しやす
い。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親の優位性

 親の優位性を押しつけすぎると、子どもは未来像を描けなくなり、自分の将来に大きな不安
を抱くようになる。思春期において、自我の確立に失敗することもある。赤ちゃん返りならぬ、
幼児返りを起こすこともある。これは子どもにとって、たいへん不幸なことと考えてよい。おとな
は、(もちろん教師も)、ときには子どもにわざと負けてみる。それによって、つまり子どもはおと
なの優位性を破ったことによって、自信をもつ。私もときどき幼児を相手にプロレスをする。わ
ざと負けてみせる。とたん、その子どもの表情や様子が大きく変わる。そういう方法で、子ども
に自信をつけさせる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ライナスの毛布

 私は幼児のころ(小学1、2年生ごろまで)、貝殻を指先でいじっているのが好きだった。とく
に眠りにつくときにそうだった。こうした子ども特有の現象を、「ライナスの毛布」と呼ぶ。毛布の
端を口でなめたり、指先でいじる子どもは多い。子どもは自分の心を落ち着かせるため、指先
の刺激を求める。それによって脳の中である種の反応を引き起こす。モルヒネ系(エンドロフィ
ン、エンケファリン)の分泌を促すという説もある。さらにこの方法は、老人のボケ防止にも役
立つという説もある。ともかくも、子どもがある特定のモノ(毛布や貝殻、やや大きくなって、ぬ
いぐるみなど)にこだわっても、それを「おかしな行為」と決めつけ、禁止してはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●代償的愛(代償的過保護)

 過保護には、その背景に「愛」がある。その愛の欠落した過保護を、「代償的過保護」という。
子どものことを愛しているのではない。子どもを自分の支配下において、自分の思い通りにし
たいだけ。その代償的過保護の原点になっているのが、代償的愛。いわば「愛もどきの愛」。
自分勝手で、わがままな愛。この愛の特徴は、(1)親はそれでもって、親の深い愛と誤解して
いるということ。(2)何かのことでつまずくと、一転して、「憎悪」の念に変わりやすいということ。
真の愛というのは、無私の愛をいう。「息子(娘)に裏切られた」と騒いでいる親は、一度、この
代償的愛を疑ってみるとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●上下関係

 日本語には、上下関係を作る言葉が多い。「兄・弟」「姉・妹」というのが、それ。「長男・二男・
三男」というのもある。親はこうして無意識のうちにも、子どもたちの世界に序列をもちこむ。そ
してその上下関係に従って、「あなたはお兄ちゃんだから……」とか、「あなたはお姉ちゃんだ
から……」とか言って、『ダカラ論』で子どもを縛る。が、ダカラ論には根拠がないばかりか、そ
の子どもにとって重荷になり、その子どもを苦しめることにもなりかねない。なお、兄弟姉妹の
間で、名前(序列ではなく、名前)で呼び合っている兄弟姉妹は、そうでない兄弟姉妹より仲が
よい。「お兄ちゃん」ではなく、「ミキ君」、「お姉さん」ではなく、「光ちゃん」と呼ぶなど。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ツァイガルニック効果

 ほっとした瞬間、自分のすべきことを忘れてしまう。これを『ツアィガルニック効果』と呼ぶ。記
憶を持続(保持)するためには、ある程度の緊張感が必要である。(メモによって残すという方
法もあるが……。)その緊張感がゆるみ、「何だったけ?」となる。このことはよく将棋を指して
いるときに、経験する。「もう勝った」と思った瞬間、へんなところから「角」が飛び出してきて、
飛車を取られたりする。「勝った」と思った瞬間、心の中にスキができる。そのため、そういうヘ
マが多くなる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子育て愛憎劇

 自分の娘に、「死んでも、お前をのろってやる」と言った母親がいた。「墓場で、お前が不幸に
なるのを楽しみにしている」とも。これはワイフの友人の話である。で、昔から愛と憎しみは、紙
一重という。愛が深ければ深いほど(?)、それが転ずると、今度は憎しみに変わる。が、それ
にはたいへんなエネルギーを消耗する。ある賢人は、こう言った。『人を憎むのは、ネズミを追
い出すのに、家に火をつけるようなもの』と。そのため愛にせよ、憎しみにせよ、それほど長く
つづくと、心身が疲れきってしまう。まさに底なしの消耗戦。時に人間性まで狂う。だから「家に
火をつけるようなもの」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●幸福論

 賢い人は、そのものの価値を失う前に気づき、そうでない人は、失ってから気づく。健康しか
り、青春時代しかり、そして子どものよさ、またしかり。子どもの問題であれこれ悩む前に、そ
の子どものもつ「良さ」に気づき、ほどほどのところで満足する。「もっと…」とか、「さらに…」と
思っていると、子どもも疲れるが、あなたも疲れる。同じように、幸福にしても、そんなに遠くに
あるわけではない。あなたのすぐそばにある。すぐそばにあって、あなたに見つけてもらうの
を、じっと待っている。「私は不幸だ」と思っている人は、一度、静かに自分の身の回りを見直し
てみるとよい。「今、ここに生きている」ということが、どんなにすばらしいことか、あなたにも、そ
れがわかるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●コンフリクト(葛藤)

 人は常に葛藤しながら、生きている。葛藤のない人生はない。たとえばいろいろなケースが
ある。(1)一等賞が当たった。自転車かパン製造機がもらえる。そういうときは、どちらをもら
おうかで、悩む(++)。(2)あるいは高原へ旅行に行きたいが、花粉症が心配と、悩むことも
ある(+−)。(3)さらに罰ゲームで、みなの前で歌を歌うか、それとも顔に墨を塗られるかを迫
られることもある(――)。(4)またこういうのもある。険しいイバラ道を渡らなければ、食物にあ
るつけないようなケース(−+)。人は常にこのコンフリクトを繰り返しながら、生きている。詳し
くは、「はやし浩司 コンフリクト」で検索をかけてみてほしい。

(補記)

●コンフリクト(葛藤)

+++++++++++++++

人はいつも、心の中で葛藤(コンフリクト)を
繰りかえしながら、生きている。

+++++++++++++++

 二つのことがらから、一つの選択を迫られたようなとき、心の中では、葛藤(コンフリ
クト)が起きる。これがストレスの原因(ストレッサー)になる。

 コンフリクトには、(1)接近型、(2)回避型、(3)接近・回避型の3つがあるとされ
る。

 たとえば、旅行クーポン券が、手に入った。一枚は、3泊4日のグアム旅行。もう一枚
は、2泊3日のカナダ旅行。どちらも行きたい。しかし日が重なってしまった。どうした
らいいか。

 このばあい、グアム旅行も、カナダ旅行も、その人にとっては、正の方向から、ひきつ
けていることになる。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(1)の接近型とい
う。

 反対に、借金がたまってしまった。取立て屋に追われている。取立て屋に追われるのも
いやだが、さりとて、自己破産の宣告もしたくない。どうしたらいいか。

 このばあいは、取り立て屋の恐怖も、自己破産も、その人にとっては、負の方向から、
ひきつける。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(2)の逃避型という。

 また、グアム旅行のクーポン券が手に入ったが、このところ、体の調子がよくない。行
けば、さらに体の調子が悪くなるかもしれない。どうしたらいいのか……と悩むのが、(3)
の接近・回避型ということになる。「ステーキは食べたい」「しかし食べると、コレステロ
ール値があがってしまう」と悩むのも、接近・回避型ということになる。

 正の方からと、負の方からの、両方から、その人を、ひきつける。そのため、葛藤(コ
ンフリクト)する。

 ……というような話は、心理学の本にも書いてある。

 では、実際には、どうか?

 たとえば私は、最近、こんな経験をした。

 ある人から、本の代筆を頼まれた。その人は、「私の人生論をまとめたい」と言った。知
らない人ではなかったので、最初は、安易な気持ちで、それを引き受けた。

 が、実際、書き始めると、たいへんな苦痛に、襲われた。代筆といっても、どうしても、
そこに私の思想が、混入してしまう。文体も、私のものである。私はその人の原稿をまと
めながら、何かしら、娼婦になったような気分になった。

 お金のために体を売る、あの娼婦である。

 そのとき、私は、(3)の接近・逃避型のコンフリクトを経験したことになる。お金はほ
しい。しかし魂は、売りたくない、と。が、実際には、コンフリクトと言うような、たや
すいものではなかった。心がバラバラになるような恐怖感に近かった。心というより、頭
の中が、バラバラになるような感じがした。

 あたかも自分の中に、別々の2人の人間がいて、けんかしあうような状態である。

 それはたいへんなストレスで、結局、その仕事は、途中でやめてしまった。つまりここ
でいうコンフリクト(葛藤)というのは、そういうものをいう。

 ほかにも、いろいろある。

 たとえば講演などをしていると、私の話など聞かないで、ペチャペチャと、おしゃべり
している人がいる。

 本人たちは、私がそれに気づかないと思っているかもしれないが、講師からは、それが
実によくわかる。本当に、よくわかる。

 そういうとき、「そのまま話しつづければいい」という思いと、「気になってしかたない」
という思いが、頭の中で、衝突する。とたん、ものすごく神経をつかうようになる。実際、
そういう講演会が終わると、そうでないときよりも、何倍も強く、どっと疲れが、襲って
くる。

 自分でもそれがよくわかっているから、ますます、気になる。

 そこで、私のばあい、そういうふうにペチャペチャとおしゃべりする人がいたら、その
場で、やさしく、ニンマリと、注意することにしている。「すみませんが、おしゃべりをひ
かえてくださいね」と。

 そうすることで、講演会のあとの疲労感を軽減するようにしている。これはあくまでも、
余談だが……。

【補記】

 ストレスの原因(ストレッサー)を感じたら、あまりがまんしないで、ありのままを、
すなおに言ったらよい。そのほうが、自分のためにもなるし、相手のためにもなる。

 ここに書いたように、最近は、公演中にペチャペチャと話している人を見たら、私は、
できるだけ早く、注意するようにしている。本当は、「さっさと、出て行け!」と叫びたい
が、そこまでは言わない。

 で、おもしろいと思うのは、もともと私の話など、聞いていないから、数度、注意して
も、知らぬ顔をして、ペチャペチャと話しつづけている。そこで私も、その人たちが気が
つくまで、数度、あるいは何度も、注意する。が、それでも気がつかない。

 すると、まわりの人たちが、そのおしゃべりをしている人のほうを、にらむ。おしゃべ
りしている人は、どうして自分たちがにらまれているかわからないといった表情を見せる。

 このとき私は、改めて、言う。「すみませんが、少し、静かにしていてくださいね」と。

 しかし、本音を一言。だれかの講演に行って、私語をつづけるようなら、外に出たらよ
い。迷惑といえば、迷惑。失礼といえば、失礼。これは講演を聞きに来た人の、最低限、
守るべき、マナーのように思う。

 もっとも、私の講演のように、つまらない講演なら、しかたないが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 コンフリクト 葛藤 葛藤の中身 親子の葛藤 夫婦の葛藤)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●窮地の演出

 子どもの自尊心を高める方法が、これ。つまり「私はお母さんのピンチを救った」と思わせな
がら、子どもを得意にさせる。「家族のピンチ」でもよい。これを『窮地の演出』(はやし浩司)と
いう。「あなたのおかげで、お父さんは無事だったのよ。命の恩人ね」と。といっても、そういう場
面は、そうは多くない。が、そのときどきにおいて、それを演出する。「今日、あなたのおかげ
で、助かったわ。あなたがいなかったら、どうなっていたことか」と。要するに負けを認めるとこ
ろでは認める。意地を張って、親の優位性を子どもに押しつけてはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●クロス・コンプレインニング

 コンプレイン(Complain)は、アメリカの精神医学会の診断基準によれば、精神障害の主症状
のひとつになっている。愚痴をよく言う人は、何らかの精神障害を疑ってみる。その愚痴を言い
合うのが、クロス・コンプレインニング。「お前はあのとき、みなの前でぼくに恥をかかせた」「あ
なただって、私の兄に、悪口を言ったじゃない」「それはお前が、ぼくの言ったことを、バカげて
いると笑ったからだ」と。ある賢人はこう書き残した。『怒っているときは愚痴を言うな。愚痴を
聞いても、怒るな』と。とくに子どもには愚痴を言わない。子どもの愚痴を聞いても、怒らない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自我の拡大

 「私は私」と強く認識することを、「自我」という。その自我がさらに強くなると、周りの人たちを
自分の支配下に置こうとする。「私」を実際以上に、大きく見せようとする。それが「自我の拡
大」。親意識も、総じて言えば、この自我の拡大として理解できる。それほど力もない親が、大
物ぶって見せるなど。あるいは物知りであるように振舞うなど。なけなしのサイフを振りながら、
金持ちぶるのも、それ。つまり「私は力がある」ということを誇示しながら、相手を自分の下に置
こうとする。力のない親が、陥りやすいワナのひとつ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己効力感

 人は常に他者との関わりの中で生きている。かかわりももたず、ひとりで生きている人(?)
は、何か心に大きな障害をもった人と考えてよい。その(関わり)の第一が、自己効力感という
ことになる。自己肯定感ともいう。「私は他人に認められている」「自分は社会で役に立ってい
る」「私を必要とする人がいる」「私はやればできる」と。子どもの世界でいうなら、「私は親に守
られている」「私の親は、私を信じてくれている」というのも、それ。こうして人は、他人との関わ
りの中で、自分を位置づけていく。またそれがあると、その人(子ども)は、それをバネとして、
前向きに伸びていくことができる。まずいのは、ネガティブな育児姿勢。「あなたはやっぱりダメ
ね」式の言葉は、子育てではタブー。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●マザコン(マザーコンプレックス)

 マザコン男ほど、相手に「マドンナ(=理想的な女性)」を求めやすい。が、この世の中に、マ
ドンナ(聖女)など、いない。だから一般論として、マザコン男ほど、離婚しやすいと言われてい
る(確たる統計があるわけではないが……。)あるいはマザコン男ほど、浮気をしやすいとも言
われている。だから子ども(男児)をマザコンにすると、子どもは将来、幸福な結婚生活を送れ
なくなる可能性が高くなる。で、それを是正するのが、父親。『子どもを産み育てるのは母親。
狩の仕方を教えるのが父親』と。母子関係の是正と、社会性の認識。それが父親の役目という
ことになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●空想的虚言

 イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのは構わない。しかし空中の楼閣に住
まわせてはならない』というのがある。空想するのは、子どもの自由。自由というより、特権。し
かし空想は空想。現実との間に一線を引く。この一線が引けなくなると、子どもは、空想的虚言
を口にするようになる。ウソの世界に生きているから、空想と現実の区別さえつかない。「私は
イタリアの女王」と言い張った女の子(小2)がいた(オーストラリア)。が、その一方で、空想が
まったくできない子どもがいる。冗談を言っても笑わないどころか、反対に怒り出してしまう。頭
がカチカチで、融通がきかない。アスペルガー児によく症状のひとつである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●夢の加工

 私たちが見る夢は、そのつど加工されている。現実をそのまま夢に見ることは、めったにな
い。たとえば私は電車に乗り遅れる夢を、よく見る。これは私の心の中に内在する強迫観念が
圧縮され、象徴化されたものと考えることができる。「電車」は、「人生」を置き換えたもの。乗り
遅れることによってハラハラするのは、強迫観念が象徴化したもの。つまり夢は心の中を映す
鏡ということになる。反対にどんな夢を見るかを知ることによって、たとえば子どもの心の中を
のぞくことができる。意外なのは、幼児でもこわい夢を見る子どもが多いということ。先日幼児
クラスで聞いてみたら、約60%の子どもが、こわい夢をよく見ていることがわかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己達成感

 子どもに何かをやらせるときは、自己達成感を大切にする。「できた!」という喜びが、つぎの
意欲へとつながっていく。たとえばワークブックでも、半分程度できればよしとする。あるいは子
どもにとって、やや簡単すぎるかな(?)と思えるようなものにする。こんなことがあった。生徒に
30問くらい計算問題をさせたときのこと。1〜2問、答がちがっていたが、私は花丸をつけて、
その子どもをほめた。それについて祖母が、こう言った。「いいかげんな丸はつけないでほし
い」と。私はこう反論した。「一生懸命したことに、花丸をつけたのです」と。その子どもは計算
が苦手だった

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●セルフ・サマライジング(自己完結)

 相手の立場や心を勝手に結論づけてしまう。それを「セルフ・サマライジング」という。「自己
完結」と訳す。たとえばこういう会話。「あなたの成績は最悪ね。これじゃあ、あなたの人生は終
わりね」とか、など。相手をさして、「人間のクズ」とか、「負け犬」とか、反論できないような言葉
を使うのも、それ。「君は本当は、ぼくを嫌っている。だからそういうことを言うのだ」というのも、
それ。相手の立場や心を確かめることなく、「そうだ」という前提で、自分の立場や心を決めて
しまう。自己中心性の強い人が陥りやすいワナである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ウィンザー効果

 子どもをほめるときは、第三者の口を借りるとよい。それとなく子どもの耳に入るようにしむけ
る。あるいは第三者を介してほめる。子どもが聞こえるようなところで、(あるいは聞こえなくて
もよいが)、父親に向かってこう言う。「うちの子ねえ、今日、先生にほめられたのよ。うれしい
わ」と。これを私は「間接話法」(はやし浩司)と呼んでいる。心理学の世界では「ウィンザー効
果」という。ウィンザー公爵夫人(小説『伯爵夫人はスパイ』)が言った言葉とされる。「あなたは
すばらしい」とほめるのが、直接話法。直接話法よりも、間接話法の方が効果的。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●セルフ・ハンディキャッピング

 テスト前なのに、子どもがやるべきことをやらないで、ゲームばかりしている。そういう姿を見
ると、親は、イライラする。が、子どもとて、テスト前ということを知らないわけではない。あせれ
ばあせるほど、勉強が手につかなくなる。どうしようもない状態に、自分を追い込んでしまう。こ
れを心理学の世界では『セルフ・ハンディキャッピング』という。自ら、ハンディを設定し、その中
に自分を押し込んでしまう。こういうときは子どもを追いつめるのではなく、逆に気分転換をさせ
るとよい。「レストランでおいしいものでも食べてきましょう」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●完璧主義の子ども

 何をやらせても、完璧。また完璧でないと、気がすまない。先生やほかの親たちには、「すば
らしい子ども」と評価される。またそう評価されることで、自分の立場を作る。が、このタイプの
子どもは、その一方で、他人に仕事が任せられない。他人の失敗を許さない。何でもイチから
自分でしたがる。またそれができないと、突然、仕事を投げ出したりする。そのため、仲間の間
では嫌われる。心を許さないから、いつも孤独。本人が思っているほど、仲間の間ではよく思
われていない。が、このタイプの子どもは、一度何かでつまずくと、ガタガタになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●好意の返報性

 子どもを伸ばす最大の秘訣は、その子どもを「いい子」「すばらしい子」と、信ずること。たとえ
そうでなくても、何度も心の中で繰り返し、自分の心をだます。英語のことわざにも、『相手は、
あなたが思うように、あなたを思う』というのがある。あなたがその子どもを「いい子」と思ってい
ると、その子どもも、あなたを「いい人」「いい先生」「いい親」と思うようになる。以心伝心ともい
う。魚心あれば水心ともいう。好意には、返報性がある。

(補記)

●灯をともして引き出す

 欧米諸国では、『灯をともして引き出す』が、教育の基本理念になっている。「教育」を意味す
る(education)という単語も、もとはといえば、(educe)、つまり「引き出す」という単語に由来す
る。

 その灯をともして引き出すためには、子どもは、ほめる。ほめてほめて、ほめまくる。そのせ
いか、アメリカでもオーストラリアでも、学校の先生は、子どもをよくほめる。参観している私の
ほうが恥ずかしくなるほど、よくほめる。

 発達心理学の世界では、ほめることによって、自発的行動(オペラント)が生まれ、それが強
化の原理となって、子どもを前向きに伸ばすと考えられている(B・F・スキナー)。

●脳内ホルモンが脳を活発化させる

 このことは、大脳生理学の分野でも、裏づけられている。好きなことをしているときには、脳
内で、カテコールアミンという脳内ホルモンが分泌され、それが、ニューロンの活動を活発化
し、集中力や思考力をますことがわかっている(澤口俊之「したたかな脳」)。

 このとき大切なことは、得意分野をほめること。不得意分野や苦手な分野には、目をつぶ
る。たとえば英語が得意だったら、まずそれをほめて、さらに英語を伸ばす。すると脳内ホルモ
ンが脳全体を活発化し、集中力もます。そのためそれまで不得意だった分野まで、伸び始め
る。これを教育の世界では、「相乗効果」と呼んでいる。子どもの世界では、よくみられる現象
である。が、それだけではない。

ほめることによって、子どもの心そのものまで、作り変えることができる。こんなことがあった。

●子どもをほめるときは本気で

 ある小学校に、かなり乱暴な子供(小5男児)がいた。腕力もあった。友だちを殴る蹴るは当
たり前。先生もかなり手を焼いていたらしい。母親は、毎月のように学校へ呼び出されていた。

 その子ども(K君としておく)が、母親に連れられて私のところへやってきた。夏休みになる少
し前のことだった。私は、週1回、夏休みの間だけ、K君の勉強をみることにした。

 こういうケースで重要なことは、最初から、本心で、その子どもをいい子と思うこと。ウソや仮
面ではいけない。本心だ。英語の格言にも、『相手はあなたがその人を思うように、あなたを思
う』というのがある。あなたがAさんならAさんをいい人だと思っているなら、そのAさんも、あな
たのことをいい人だと思っているもの。心理学の世界にも、「好意の返報性」という言葉があ
る。

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のいい面を見せようとする。相手の
好意には、好意でもってこたえようとする。そういう子どもの性質を利用して、子どもを伸ばす。

●「先生、肩もんでやるよ。」

 で、夏休みも終わりに近づき、母親にK君の様子を報告することになった。私は車の助手席
に、K君は、うしろの席にいた。私は、こう言った。

 「K君はたくましい子どもです。元気がありすぎるため、トラブルを起こすかもしれませんが、
今だけです。おとなになったら、すばらしい人になります。楽しみな子どもです」と。

 K君は、実際、好奇心が旺盛で、バイタリティもあった。おとなのユーモアもよく理解した。頭も
よい。母親は「そうでしょうか。」と、どこか心配そうだったが、その翌週、こんなことがあった。

 いつもより30〜40分も早く、K君が私のところへ来た。「どうした?」と聞くと、K君は、少し恥
ずかしそうにこう言った。

 「先生、肩もんでやるよ。オレ、肩もむの、うまいんだア」と。

 私はだまって、K君の好意を受けた。

(はやし浩司 脳内ホルモン オペラント 自発的行動 カテコールアミン ドーパミン 子どもの
やる気 子供の集中力 思考力)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ストレス学説

 ストレスの原因を、「ストレッサー」という。人間はある程度のストレスには耐えられる。が、限
界を超えると、さまざまな身体的変調となって、それが外に現れる。が、それがさらに慢性化す
ると、脳内でサイトカインが分泌され、脳内ストレスを引き起こす。食欲不振、低体温、性欲減
退など。さらにそれが進むと、免疫機能が低下し、ばあいによっては心疾患、脳疾患、がんな
どの病気の引き金を引くこともある。けっして軽く見てはいけない。なおストレスの程度と、それ
に対する反応には、個人差がある。Aさんには何でもないストレスが、Bさんには大きなストレッ
サーとなることもある。ところでこんな話を耳にした。「庭で放し飼いにしている犬ほど、長生き
する」と。それだけストレスが少ないということか。私の家のハナ(犬)も庭で放し飼いにしている
が、今年で16歳になる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己開示度

 相手がどの程度まで秘密を暴露しているかで、相手が、どの程度、あなたと親密になりたが
っているかがわかる。それを知るのが、「自己開示度」。いつもどうでもよいような世間話だけ
で終わる人は、あなたと親しくなるのを拒んでいるとみてよい。反対に、自分の病気や家族の
問題などを話す人は、あなたと親しくなりたがっているとみてよい。反対にあなたがその人と親
密になりたかったら、秘密を暴露してみるとよい。あなたの秘密を知ったことで、相手は信頼さ
れていると思い、あなたに親近感を覚えるようになるかもしれない。これを「自己開示の返報
性」という。

(補記)

自己開示(2)

 自分をさらけ出すことを、自己開示という。そしてそれが極限にまで達したのを、「カタルシス
(除反応)」※という。心を最大限、開放させることにより、心理的、精神的負担を軽減させるこ
とをいう。

 他人との信頼関係をうまく結べない人は、まず自己開示をしてみるとよい、あなたが妻であれ
ば、夫や子どもに対して。あなたが夫であれば、妻や子どもに対して。家族には、そういう機能
がある……というより、これは家族の重要な機能の一つと考えてよい。

 方法としては、自分の過去を、あらいざらい、すべて告白するというのがある。悲しかった思
い出、つらかった思い出、恥ずかしかった思い出など。心の中に秘めている思い出を、すべて
吐き出してみる。

 これはたいへん勇気のいることだが、しかし自己開示することによって、あなたは自分の心を
開放することができる。が、それだけではない。自己開示することによって、(1)相手もあなた
に自己開示する。(2)あなたもそれまで気づかなかった自分に気づくことができるようになる。

 私はときどき、中学生に、こんな作文を書かせる。

【つぎの文につなげて、作文を書いてください。】

● 私にとって、今まで、一番楽しかったことは、
● 私にとって、今まで、一番悲しかったことは、
● 私にとって、今まで、一番うれしかったことは、
● 私にとって、今まで、一番つらかったことは、
● 私には、人に話せないような思い出が、

ほかにもいろいろあるが、子どもが書く内容は、それほど重要ではない。(また、内容について
は、一切、不問にすること。)その子どもがどこまで、具体的に自己開示するかで、たがいの信
頼関係の深さを知ることできる。

つぎに、子ども自身が、仮面をかぶっているかどうか、どこまで自分と向き合っているかどう
か、心の問題をもっているかどうかなどを、知ることができる。「のぞく」という言葉は、あまり好
きではないが、しかし、この方法で、子どもの心の中を、のぞくことができる。家庭では、たとえ
ば、子どもに向かって、「あなたにとって、今まで、一番うれしかったことは、どんなこと?」という
ように聞いてみるとよい。

……と、書いたが、あなた自身はどうかということを、自問してみてほしい。

 あなたが妻なら、夫に話せない話もあるはず。結婚前の男性関係とか、身体的なコンプレッ
クスとか、など。子どものころの家庭環境も、それに含まれるかもしれない。もしそういうのがあ
れば、思い切って、夫に話してみる。

 あなたはそれで、人間関係が壊れると思っているかもしれないが、多少の混乱を経て、あな
たと夫の心の絆(きずな)は、それで太くなるはず。とくに、他人との人間関係がうまく結べない
人、他人と接すると、すぐ神経疲労を起こす人などは、まず、身近な人に対して自己開示して
みるとよい。つまりこうして、自分の心を作り変えていく。

 もっとも注意しなければならないのは、他人への自己開示である。信頼基盤そのものがない
人に、自己開示するのは、危険なことでもある。そういうときは、相手をより深く理解するという
方法に切りかえる。たとえば……。

 日ごろ、相手が、言いたいと思っていること、知りたいと思っていることを、相手の立場になっ
て聞く。「この前、あなたはこう言ったけど、その意味がよくわからないから、もう一度、話してく
れない」「あなたの言うことはよくわかるけど、もし私だったら、どうするか、いろいろ考えてみた
わ」とか。相手をより深く理解しようとしよう姿勢を見せることで、同時に、自分もまた相手に対
して、自己開示することができる。

 前にも書いたが、自己開示をすることは、違いの信頼関係を築く、基盤となる。たがいにわけ
のわからない状態で、信頼関係を結ぶことはできない。さあ、あなたも勇気を出して、自己開示
してみよう。心を解き放ってみよう!
(030707)

※ ……自己開示することで、心理的、精神的負担を軽減することができる。ばあいによって
は、症状が焼失することもあるという。これをカタルシス効果という。自己開示には、そういう作
用もある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●感受性訓練法

●感受性訓練法

 5〜6人のクラスで、そのままにしておくと、子どもたちは勝手な会話を
し始める。
ふだんは制止するが、ときには、そのままにしておく。
それによって子どもたちの本音を知ることができる。
が、それだけではない。
言いたいことを、そのまま言わせることは、大切なこと。
それによって、よりよい人間関係を築くことができる。
たとえば心理学の世界には、「感受性訓練法」というのがある。
「ラボラトリー・トレーニング」とも呼ばれている。

 これは体験者を一室に隔離して、ありのままの感情を、さらけ出させるという方法。
それを体験者の状態に合わせて、数時間とか数日間、つづける。
やがてカタルシス効果が現れて、体験者は、大声で泣きわめいたり、怒ったりする。
不平不満をぶつけたり、ときに暴れたりする。
が、それが一巡すると、体験者は、やがて心を抑圧していた殻(から)から解放され、
感情をストレートに表現できるようになる。

 この訓練を受けると、感受性が豊かになり、他人に対して、深い思いやりが
生まれたり、相手の悲しみや苦しみが、よりよく理解できるようになるという。
が、似たような経験を、実は私は教育の場ではよくする。

 私はときどき、子どもたち(幼稚園児)に、こう言う。
「君たちは、ママのおっぱいが好きか?」と。
すると子どもたちは、最初は、はにかみながら、「嫌いだよ〜オ」などと答えたりする。

 そこで私は、語気を強めて、こう言う。
「ウソをつくな!」「好きだったら、好きと言え!」「自分にウソをつくのは
悪いことだ!」と。
まじめな顔をして、叱る。
するとやがて子どもたちは、「好きだけどオ〜」とか言うようになる。

 が、何もおっぱいの話にかぎらない。
ときに子どもたちをじらしながら、「見たかったら、見たいと言え!」と促したりする。
(この方法は、私がレッスン中によく使う。「BW公開教室」(私のHPより)
でも紹介しているので、興味のある人は見てほしい。)

 つまりこうして内にたまった(思い)を、一度、外に吐き出させる。
大声で言えるようにする。
感情を、そのまま表現させる。
言うなれば、これもカタルシス効果のひとつということか。
この方法により、一義的には、(性)に対して暗いイメージをもたせることを
防ぐことができる。
が、それ以上に、子どもの心をまっすぐにすることができる。

その結果として、子どもをして、かつ感受性豊かな子どもにすることができる。
「感受性が豊か」ということは、それだけ「他人の心に敏感に反応できること」を
いう。
 
反対に心がゆがんでくると、心(=情意)と表情が、一致しなくなってくる。
ばあいによっては、遊離し、いわゆる(何を考えているかわからない子ども)になる。

 むずかしい話はさておき、親子の間でも、夫婦の間でも、また友人との間でも、
たがいに言いたいことを言うというのは、人間関係の基本。
それなくして、良好な人間関係は育たない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 感受性訓練 感受性訓練法 ラボラトリー・トレーニング 心の訓練 はやし浩司 
カタルシス効果)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●シンクロ効果(同調理論)

 その人と親しくなりたかったら、「同一景色」を見る。同一景色を見ながら、話をする。
たとえば美術館へ行ったようなとき。つねにその相手と同じ位置に立ち、同じ角度から同じ絵
や像を見る。たったそれだけのことだが、相手のあなたへの親近感がぐんと増す。これを「同
一景色理論」(はやし浩司)という。「同じものを見ている」という無意識下の意識が、「シンクロ
効果」を生み出す。けっしてあなたは、その相手を置いてきぼりにしたり、勝手な行動をしては
いけない。子どもの心をつかみたかったら、子どもと同じレベルに置いて、ゲームを楽しむのも
一手。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●夫婦の相補性

 夫婦というのは、不思議なもの。30年とか40年もいっしょに暮らしていると、たがいにたがい
を補完しあいながら生きるようになる。行動だけではない。性格、性質についても同じ。神経質
な夫に、ヘマばかりしている妻。無口な夫に、おしゃべりな妻。独立心が旺盛な夫に、甘えん坊
の妻。活動的な夫に、従順な妻など。これを「性的相補性」と言う。夫婦が100組いれば、10
0通りの夫婦が生まれる。だから夫婦はおもしろい。男と女の世界は、おもしろい。

(補記)

●夫婦の相補性

++++++++++++++

夫婦が円満に暮らすためには、
相補性が必要である。

たがいにたがいを補いあう。それ
を「相補性」という。

++++++++++++++

 仲のよい夫婦を観察してみると、そこにはひとつの共通点があるのがわかる。「相補性」
という共通点である。たがいにたがいを補いあう。それを「相補性」という。

 たとえば1人の人間には、得意な点もあれば、不得意な点もある。良点もあれば、欠点
もある。そうしたもろもろの(点)を、たがいに補いあう。それが歯車のように、しっか
りとかみあう。それが「相補性」ということになる。

 もし夫婦のどちらも、勝ち気で社交的ということになれば、衝突から離婚……というこ
とになる。タレントどうしの結婚を例にあげるまでもない。が、そういう夫婦でも仲良く
やっているというケースもなくはないが、しかしよくよく観察してみると、ここでいう相
補性があることがわかる。

 反対に言うと、夫婦が円満であるためのコツは、いかにしてその相補性をつくるかとい
うことにもなる。

 これは私たち夫婦のばあいだが、私は車の運転免許証をもっていない。いろいろ理由は
あるが、私は車には、興味がない。だからワイフが近くにいないと、身動きが取れない。
たとえ夫婦げんかの最中でも、頭をさげなければならないときは、さげる。しかたないか
ら、さげる。これも相補性のひとつということになる。

 車を運転できない私を、ワイフが補ってくれる。

 つまり夫婦というのは、たがいに無数の相補性をもっている。結婚生活が長ければ長い
ほど、歯車の数もふえ、そしてそれぞれの歯車が、しっとりとかみ合うようになる。私が
担当すべきところは、私が担当する。半面、ワイフに任すべきところは、ワイフに任す。
一方、身を引くところは、引く。

 車の運転を例にあげるなら、車の運転は、ワイフに任せておけばよい。こうしてたがい
の相補性を、さらに濃密にしていく。

 が、それだけではない。

 相補性には、それぞれの分野で、主従関係をもつ。車を運転するワイフが、(主)であ
るとするなら、乗せてもらう私は、(従)ということになる。一方、仕事、収入という面
では、私が(主)であるとするなら、家計を管理するワイフは、(従)ということになる。

 この主従関係をうまくつくるのも、相補性を考える点で大切である。「夫が主で、妻が
従」というのではない。それぞれの分野で、主従関係をつくる。つくるというより、自然
にできる。もっとも、だからといって、私たち夫婦が、仲がよいというわけではない。

 要するに、私はワイフなしでは生きていかれないし、一方、ワイフは、私なしでは生き
ていかれない。そういうたがいの関係が、ときに(あきらめ)につながり、ついで(妥協)
につながる。総じていえば、結婚生活などというものは、そういうもの。またそれができ
る夫婦のことを、「仲のよい夫婦」という。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
夫婦の相補性 仲のよい夫婦 仲の良い夫婦)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●同性愛

 子どもはつぎの過程を経て、成長していく。(自己愛)→(同性愛)→(異性愛)と。フロイトがそ
う言っている。つまり子どもの成長過程で、同性愛的傾向があるからといって、あわててはいけ
ない。ほとんどの子どもは、思春期前夜から思春期以前は、同性愛的傾向をもつ。その時期
を経て、それが異性愛へと変化していく。が、その時期を過ぎても同性愛的傾向がつづくようで
あれば、性同一性障害が疑われる。(だからといって、それが異常と考えてはいけない。どうで
あれ、あるがまま認め、納得する。)「性」の世界には、常識は通用しない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 子どもを知る心理学 幼児を知る心理学 学童期の子ども 心理)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●エディプス・コンプレックス

 ソフォクレスの戯曲に、『エディプス王』というのがある。ギリシャ神話である。物語の内容は、
つぎのようなものである。

 テーバイの王、ラウルスは、やがて自分の息子が自分を殺すという予言を受け、妻イヨカスタ
との間に生まれた子どもを、山里に捨てる。しかしその子どもはやがて、別の王に拾われ、王
子として育てられる。それがエディプスである。

 そのエディプスがおとなになり、あるとき道を歩いていると、ラウルスと出会い、けんかする。
が、エディプスは、それが彼の実父とも知らず、殺してしまう。

 そのあとエディプスは、スフィンクスとの問答に打ち勝ち、民衆に支持されて、テーバイの王と
なり、イヨカスタと結婚する。つまり実母と結婚することになる。

 が、やがてこの秘密は、エディプス自身が知るところとなる。つまりエディプスは、実父を殺
し、実母と近親相姦をしていたことを、自ら知る。

 そのため母であり、妻であるイヨカスタは、自殺。エディプス自身も、自分で自分の目をつぶ
し、放浪の旅に出る……。

 この物語は、フロイト(オーストリアの心理学者、一八五六〜一九三九)にも取りあげられ、
「エディプス・コンプレックス」という言葉も、彼によって生みだされた(小此木啓吾著「フロイト思
想のキーワード」(講談社現代新書))。

つまり「母親を欲し、ライバルの父親を憎みはじめる男の子は、エディプスコンプレックスの支
配下にある」(同書)と。わかりやすく言えば、男の子は成長とともに、母親を欲するあまり、ライ
バルとして父親を憎むようになるという。(女児が、父親を欲して、母親をライバル視するという
ことも、これに含まれる。)

 この説話から、一般に、成人した男性が、母親との間に強烈な依存関係をもち、そのことに
疑問をもたない状態を、心理学の世界では、「エディプスコンプレックス」という。母親からの異
常な愛情が原因で、症状としては、同年齢の女性と、正常な交友関係がもてなくなることが多
い。

 で、私も今までに何度か、この話を聞いたことがある。しかしこうしたコンプレックスは、この
日本ではそのまま当てはめて考えることはできない。
その第一。日本の家族の結びつき方は、欧米のそれとは、かなり違う。その第二。文化がある
程度、高揚してくると、男性の女性化(あるいは女性の男性化といってもよいが)が、かぎりなく
進む。現代の日本が、そういう状態になりつつあるが、そうなると、父親、母親の、輪郭(りんか
く)そのものが、ぼやけてくる。

つまり「母親を欲するため、父親をライバルとみる」という見方そのものが、軟弱になってくる。
現に今、小学校の低学年児のばあい、「いじめられて泣くのは、男児。いじめるのは女児」とい
う、逆転現象(「逆転」と言ってよいかどうかはわからないが、私の世代からみると、逆転)が、
当たり前になっている。

 家族の結びつき方が違うというのは、日本の家族は、父、母、子どもという三者が、相互の依
存関係で成り立っている。三〇年ほど前、それを「甘えの構造」として発表した学者がいるが、
まさに「甘えの関係」で成り立っている。子どもの側からみて、父親と母親の境目が、いろいろ
な意味において、明確ではない。
少なくとも、フロイトが活躍していたころの欧米とは、かなり違う。だから男児にしても、ばあい
によっては、「父親を欲するあまり、母親をライバル視することもありうる」ということになる。

 しかし全体としてみると、親子といえども、基本的には、人間関係で決まる。親子でも嫉妬(し
っと)することもあるし、当然、ライバルになることもある。親子の縁は絶対と思っている人も多
いが、しかし親子の縁も、切れるときには切れる。

 また親なら子どもを愛しているはず、子どもならふるさとを愛しているはずと考える、いわゆる
「ハズ論」にしても、それをすべての人に当てはめるのは、危険なことでもある。そういう「ハズ
論」の中で、人知れず苦しんでいる人も少なくない。

 ただ、ここに書いたエディプスコンプレックスが、この日本には、まったくないかというと、そう
でもない。私も、「これがそうかな?」と思うような事例を、経験している。私にもこんな記憶があ
る。

 小学五年生のときだったと思う。私はしばらく担任になった、Iという女性の教師に、淡い恋心
をいだいたことがある。で、その教師は、まもなく結婚してしまった。それからの記憶はないが、
つぎによく覚えているのは、私がそのIという教師の家に遊びに行ったときのこと。川のそば
の、小さな家だったが、私は家全体に、猛烈に嫉妬した。家の中にはたしか、白いソファが置
いてあったが、そのソファにすら、私は嫉妬した。
常識で考えれば、彼女の夫に嫉妬にするはずだが、夫には嫉妬しなかった。私は「家」嫉妬し
た。家全体を自分のものにしたい衝動にかられた。

 こういう心理を何と言うのか。フロイトなら多分、おもしろい名前をつけるだろうと思う。あえて
言うなら、「代償物嫉妬性コンプレックス」か。好きな女性の持ち物に嫉妬するという、まあ、ゆ
がんだ嫉妬心だ。

そういえば、高校時代、私は、好きだった女の子のブラジャーになりたかったのを覚えている。
「ブラジャーに変身できれば、毎日、彼女の胸にさわることができる」と。そういう意味では、私
にはかなりヘンタイ的な部分があったかもしれない。(今も、ある!?)

 話を戻すが、ときとして子どもの心は複雑に変化し、ふつうの常識では理解できないときがあ
る。このエディプスコンプレックスも、そのひとつということになる。まあ、そういうこともあるとい
う程度に覚えておくとよいのでは……。何かのときに、役にたつかもしれない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●父親の役割

●母子関係の是正

 母子関係は、絶対的なものである。それは母親が、妊娠、出産、授乳(育児)という、子ども
の「命」にかかわる部分を、分担するためである。

 同じ親でも、母親と父親は、そういう意味においても、決して平等ではない。はっきり言えば、
父親がいなくても、子どもは生まれ、育つ。

 が、ここでいくつかの問題が生まれる。
 その第一は、精神の発育には、父親の存在が、不可欠であるということ。それには、つぎの
二つの意味が含まれる。

(1)父親像の移植
(2)母子関係の是正

 人間は、社会的な動物である。そしてその「社会」は、「家族」という、無数の共同体が集合し
て、成りたっている。世界のあちこちには、大家族制度や、かつてのヒッピー族が経験した、集
団家族制度のような家族形態をとっているところもある。
しかしこの日本では、一人の父親と、一人の母親が結婚して、家族を構成する。それが家族の
基本であると同時に、子育ての基本となっている。(だからといって、そうであるべきと言ってい
るのではない。誤解のないように!)

 そうした家族形態の中における、父親の役割を、子どもに教える。「父親というのは、こういう
もの」「父親というのは、こうあるべき」と。これが父親像の移植である。子どもは、父親に育て
られたという経験があってはじめて、その父親像を、自分のものとすることができる。

 しかしこれに加えて、もう一つ、重要な役割がある。それが、(2)の母子関係の是正である。

 このことは、離婚家庭や、父親不在家庭の子どもをみれば、わかる。
 父親像がない状態で育った子どもは、母子関係がどうしてもその分、濃密になり、母親の影
響を大きく受けやすい。そのためマザーコンプレックスをもちやすいことは、すでにあちこちで
指摘されているとおりである。

 子どもは、その成長過程において、母子関係から離脱し、社会性を身につける。これを「個
人化」という。その個人化が、遅れる。あるいは未発達なまま、おとなになる。三〇歳を過ぎて
も、四〇歳を過ぎても、さらに五〇歳をすぎても、母親なしでは、生きられない状態を、自ら、つ
くりだす。

 六〇歳をすぎても、「お母さん」「お母さん」と、甘えている男性など、いくらでもいる。
 しかしこうした依存性は、決して、一方的なものではない。
 ふつう子どもが、依存性をもつと、子どもの側だけが問題になる。しかし実際には、子どもの
依存性を許す、甘い環境が、その子どもの周辺にあると考える。もっとはっきり言えば、母親
自身が、依存性が強いことが多い。

だから母親自身が、子どもの依存性を見落としてしまう。あるいは子どもに、自分がもっている
依存性と同じものを、もたせてしまう。
たとえば依存性の強い母親は、親にベタネタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よ
い子、としてしまう。反対に、親に反抗したり、自立心が旺盛な子どもを、「親不孝者」と、排斥し
てしまう。

 こうしてベタベタに甘い、母子関係が、生まれる。
 そのベタベタになりがちな母子関係を制限し、修復するのが、父親の役目ということになる。

 具体的には、(1)行動に制限を教える。(2)社会的人間としての、父親の役割を教える。
 たとえば溺愛ママと呼ばれる母親がいる。
 このタイプの母親は、母親と子どもの間にカベがない。だから子どもが何かの不祥事を起こ
したりすると、自らが責任をかぶることにより、子どもの責任をあいまいにしてしまう。

 子ども(中3男子)が、万引き事件を引き起こして補導されたとき、一夜にして、あちこちをか
けずりまわり、事件そのものをもみ消してしまった母親がいた。
 つまりそういうことをしながら、子どもの精神的な発育を、母親自身が、むしろ、はばんでしま
う。

 こうした母親の行動にブレーキをかけるのが、父親の役目ということになる。もともと父子関
係は、「精液一しずく」の関係にすぎない。しかしこうした父親のもちうる客観性こそが、父親像
の特徴ということにもなる。
 つぎに(2)社会的人間としての、父親の役割だが、これは、現代の社会構造と、深く結びつ
いている。たとえば少し前まで、この日本では、「男は仕事」という言葉が、よく使われた。「男
が仕事をし、女が家庭を守る」と。(だからといって、こうした考え方を、私が肯定しているわけ
ではない。誤解のないように!)

 こうした「男」と「女」のちがいは、さまざまな形で、社会の中に組みこまれている。そのちがい
を、教えていくのも、実は、父親の役割ということになる。
 父親は、決して、母親にかわることはできない。またかわる必要もない。母親には母親の、そ
して父親には父親の限界がある。その限界をたがいに、補いあうのが、父親の役目であり、母
親の役目ということになる。

 その役割を混乱させると、子育てそのものが、混乱する。
 よくあるケースは、(1)父親の母親化。(2)母親の父親化。(3)それに父親の不在(疑似母
子家庭)である。こういう家庭では、子育てそのものが、混乱しやすい。
 父親の母親化というのは、父親自身が、女性化していることをいう。子どもを、溺愛ママよろ
しく、息子や娘を溺愛する父親は、決して珍しくない。

 つぎに母親の父親化も、ある。このばあい、その影響は、子どもに強く現れる。本来なら、母
子関係ではぐくまれねばならない、基本的な信頼関係(絶対的なさらけ出しと、絶対的な受け
入れ)が、結べなくなる。その結果、子どもの情緒、精神の発育に、深刻かつ重大な影響を与
える。

 一般的に言えば、母親が父親化すれば、子どもは、愛情飢餓の状態になり、心の開けない
子どもになる。

 さらに父親の職業などで、疑似母子家庭と呼ばれるようなケースになることもある。夫の長期
にわたる、単身赴任が、その一例である。
だからといって、母子家庭が悪いと言っているのではない。ただこうした問題があるというの
は、事実であり、そういう事実があるということを知るだけでも、母親は、自分の子育てを、軌
道修正できる。母子家庭が本来的にもつ問題を、克服することができる。

 まずいのは、こうした問題を知ることもなく、母子関係だけに溺れてしまうケースである。この
原稿は、そういう目的のために書いたのであって、決して、母子家庭には問題があると書いた
のではない。どうか、誤解のないようにしてほしい。
(はやし浩司 父親役割 母子家庭 問題 エディプス コンプレックス)
________________________________________
【追記】

 母子家庭でなくても、母親が、日常的に父親を否定したり、バカにしたりすると、ここでいう父
親像のない子どもになることがある。

 このタイプの子どもは、言動に節制がなくなったり、常識ハズレになったりしやすい。あるいは
マザコンになりやすい。

 マザコンタイプの子どもの特徴は、自分のマザコン性を正当化するために、ことさら親(とくに
母親)を、美化するところにある。「私の母親は、偉大でした」「世のカサになれと、教えてくれま
した」と。そして親を批判したりする人物がいると、それに猛烈に反発したりする。

 こうしたマザコン性から子どもを救い出し、父親像をインプットしていくのが、実は、父親の役
目ということになる。これを心理学の世界では、「個人化」という。もともと個人化というのは、家
族どうしの依存性から脱却することを言う。つまりわかりやすく言えば、「自立化」のこと。

 マザコンタイプの人は、その個人化が遅れる。ベタベタとよりそう関係を、かえって美化するこ
ともある。親は、「親孝行のいい息子」と思いこみ、一方、子どもは、「やさしく、すばらしい親」と
思いこむ。

 簡単に言えば、父親の役目は、子どもを母親から切り離し、子どもを自立させていくこと。

 もちろんその過程で、子どもの側にも、さまざまな葛藤(かっとう)が起きることがある。エディ
プスコンプレックス※も、その一つということになる。

 が、最近の問題として、父親自身が、じゅうぶんな父親像をもっていないことがあげられる。
父親自身が、「父親」を知らないケースである。

 さらに父親自身が、マザコンタイプであったりして、ベタベタになっている母子関係を見なが
ら、それに気がつかないということもある。あるいはさらに、父親自身が、母親の役割にとって
かわろうとするケースもある。

 溺愛パパの誕生というわけである。

 このように、現代の親子関係は、今、混沌(こんとん)としている。しかし今こそ、改めて、父親
の役割とは何か、母親の役割とは何か。それを冷静に判断してみる必要はあるのではないだ
ろうか。でないと、これから先、日本人のそれは、ますますわけのわからない親子関係になって
しまう。

 ここに書いたことが、あなたの親子関係をわかりやすいものにすれば、うれしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ピーターパン・シンドローム

ピーターパン症候群という言葉がある。日本では、「ピーターパン・シンドローム」とも
いう。いわゆる(おとなになりきれない、おとな子ども)のことをいう。


この言葉は、シカゴの心理学・精神科学者であるダン・カイリーが書いた「ピーターパ
ン・シンドローム」から生まれた。もともとこの本は、おとなになりきれない恋人や息子、
それに夫のことで悩む女性たちのための、指導書として書かれた。

 症状としては、無責任、自信喪失、感情を外に出さない、無関心、自己中心的、無頓着
などがあげられる。体はおとなになっているが、社会的責任感が欠落し、自分勝手で、わ
がまま。就職して働いていても、給料のほとんどは、自分のために使ってしまう。

 これに似た症状をもつ若者に、「モラトリアム人間」と呼ばれるタイプの若者がいる。さ
らに親への依存性が、とくに強い若者を、「パラサイト人間」と呼ぶこともある。「パラサ
イト」というのは、「寄生」という意味。

 さらに最近の傾向としては、おもしろいことに、どのタイプであれ、居なおり型人間が
ふえているということ。ピーターパンてきであろうが、モラトリアム型であろうが、はた
またパラサイト型であろうが、「それでいい」と、居なおって生きる若者たちである。

 つまりそれだけこのタイプの若者がふえたということ。そしてむしろ、そういう若者が、
(ふつうのおとな?)になりつつあることが、その背景にある。

 概して言えば、日本の社会そのものが、ピーターパン・シンドロームの中にあるのかも
しれない。

 国際的に見れば、日本(=日本人)は、世界に対して、無責任、自信喪失、意見を言わ
ない(=感情を外に出さない)、無関心、自己中心的、無頓着。

 それはともかく、ピーターパン人間は、親のスネをかじって生きる。親に対して、無意
識であるにせよ、おおきなわだかまり(固着)をもっていることが多い。このわだかまり
が、親への経済的復讐となって表現される。

 親の財産を食いつぶす。親の家計を圧迫する。親の生活をかき乱す。そしてそれが結果
として、たとえば(給料をもらっても、一円も、家計には入れない)という症状になって
現れる。

 このタイプの子どもは、乳幼児期における基本的信頼関係の構築に失敗した子どもとみ
る。親子、とくに母子の関係において、たがいに(さらけ出し)と(受け入れ)が、うま
くできなかったことが原因で、そうなったと考えてよい。そのため子どもは、親の前では、
いつも仮面をかぶるようになる。ある父親は、こう言った。「あいつは、子どものときから、
何を考えているか、よくわからなかった」と。

 そのため親は、子どもに対して、過干渉、過関心になりやすい。こうした一方的な育児
姿勢が、子どもの症状をさらに悪化させる。

 子どもの側にすれば、「オレを、こんな人間にしたのは、テメエだろう!」ということに
なる。もっとも、それを声に出して言うようであれば、まだ症状も軽い。このタイプの子
どもは、そうした感情表現が、うまくできない。そのため内へ内へと、こもってしまう。
親から見れば、いわゆる(何を考えているかわからない子ども)といった、感じになる。
ダン・カイリーも、「感情を外に表に出さない」ことを、大きな特徴の一つとして、あげて
いる。

 こうした傾向は、中学生、高校生くらいのときから、少しずつ現れてくる。生活態度が
だらしなくなったり、未来への展望をもたなくなったりする。一見、親に対して従順なの
だが、その多くは仮面。自分勝手で、わがまま。それに自己中心的。友人との関係も希薄
で、友情も長つづきしない。

 しかしこの段階では、すでに手遅れとなっているケースが、多い。親自身にその自覚が
ないばかりか、かりにあっても、それほど深刻に考えない。が、それ以上に、この問題は、
家庭という子どもを包む環境に起因している。親子関係もそれに含まれるが、その家庭の
あり方を変えるのは、さらにむずかしい。

 現在、このタイプの若者が、本当に多い。全体としてみても、うち何割かがそうではな
いかと思えるほど、多い。そしてこのタイプの若者が、それなりにおとなになり、そして
結婚し、親になっている。

 問題は、そういう若者(圧倒的に男性が多い)と結婚した、女性たちである。ダン・カ
イリーも、そういう女性たちのために、その本を書いた。

 そこでクエスチョン。

 もしあなたの息子や、恋人や、あるいは夫が、そのピーターパン型人間だったら、どう
するか?

 親のスネをかじるだけ。かじっても、かじっているという意識さえない。それを当然の
ように考えている。そしてここにも書いたように、無責任、自信喪失、感情を外に出さな
い、無関心、自己中心的、無頓着。

 答は一つ。あきらめるしかない。

 この問題は、本当に「根」が深い。あなたが少しくらいがんばったところで、どうにも
ならない。そこであなたがとるべき方法は、一つ。

 相手に合わせて、つまり、そういう(性質)とあきらめて、対処するしかない。その上
で、あなたなりの生活を、つくりあげるしかない。しかしかろうじてだが、一つだけ、方
法がないわけではない。

 その若者自身が、自分が、そういう人間であることに気づくことである。しかしこのば
あいでも、たいていの若者は、それを指摘しても、「自分はちがう」と否定してしまう。脳
のCPU(中央演算装置)の問題だから、それに気づかせるのは、容易ではない。

 が、もしそれに気づけば、あとは時間が解決してくれる。静かに時間を待てばよい。

(040201)(はやし浩司 ピーターパン シンドローム ピータパンシンドローム モラトリアム
人間 パラサイト人間 ダン・カイリー 大人になれない若者)



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松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House 
/ Melbourne Univ. writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと
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